私は個人的に信念や信じる行為に関心がある。人間関係において、嘘を自分に強要する、環境に都合の悪いことを忘却する、暴言・暴力による屈辱的な状況を理解できないなど、支配への慣れが繰り返されると限りなく自分を見失い、不適切な考えに囚われていく。人の信念に振り回され自分の存在を見失い、自分がどんどん透明に近づくとき、自分の本当の考えや感情がわからなくなる。
人間関係においてトラウマが起きる現象は個人的な問題だけではなく、戦後の日本が培ってきた価値観や政治(ex,学歴信仰、カルト、戦争、性差)など、あらゆることと密接な関係があり、傷つくことはそれらの犠牲になることだと考えている。
私にとってトラウマは、個人的な過去の出来事の後遺症であるが、何らかのスイッチが入るとシステマチックに発動する私の中にある痛みのプログラムであり、おとぎ話でいう呪いと同じように考えている。
呪いであるトラウマは私にとって一昔前の原子力安全神話のようなもので、不思議な絶対性と幻想性が混在していた。そのため、トラウマを一種の小さな規模のフォークロアとして捉えており、トラウマ体験を取り巻く環境を一つの説話のような一種の幻想的世界と考え、モチーフは神話・民話など過去から伝わる物語と実際にあった出来事などを組み合わせて考えることが多い。
制作については、主に油分を吸わせたキャンバスやワックスペーパーを自作してペインティングに起こしている。絶対的な何かに支配され、段々自分が透明になることを重ねて光が透過するような地を作ることにしている。
モチーフにはモーフィングやコラージュなどの偶然性を利用する場合もあり、他者に蝕まれることで自分を見失うことを異形に例えている。
1対1の人間関係は素数のように、無限にある世界を構成する一つの基本単位だと思っている。世の中は1人の人間から始まって国のように大きく複雑な組織もあるが、全て人間同士の間で何らかの出来事があり、コミュニケーションがある。たった一人の傷やそれに影響して生まれた信念が膨らんで大きな事件が起こることもある。そのため、一体何を信じているのか、ということを振り返ることが大事だと考えている。